奈良地方裁判所 昭和25年(ワ)48号 判決
原告 森茂夫
被告 市川一雄(いづれも仮名)
一、主 文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
二、事 実
原告訴訟代理人は、被告は原告に対し金三万五千円及び之に対する昭和二十五年四月十七日以降右完済迄年五分の割合の金員を附加して支払え、訴訟費用は被告の負担とするとの判決並に担保を条件とする仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、原告三男丈男は被告の長女市川花子と昭和二十四年五月上旬婚約し同月下旬原告は右花子の父である被告に他の物品と共に結納として金三万五千円を贈与した処其後結婚式の日取りの事から両者間に感情の行違いを生じ遂に同年十一月下旬頃破談のやむなきに至つた。元来結納なるものは婚約の成立を証すると同時に将来婚姻の成立することを前提とし、親族関係から生ずる相互の情誼を厚うする目的で授受される一種の贈与であるから、婚約が後日解除された時は証すべき予約は消滅し、温情を致すべき親族関係は発生せず結局結納を給付した目的を達し得ず、給付を受けたものは不当利得としてこれを相手方に返還すべき義務を有するものである。よつて本訴請求に及んだと述べ、被告の主張並抗弁事実を否認し、破談原因は同年五月中旬頃の夕刻被告方より突然是非共明朝結納を納めて貰いたいと早急の申出あり、原告方はその申出通り実行した処、その返礼の印として通常入つているべき「おため」が入つてなかつたのでその異例の仕方を不快に思つていた。其後九月下旬頃結婚式の日取りを同年十一月二十七日と予定し被告方も之を了承したに拘らず十一月十七日頃になつて媒酌人訴外中村テルを通じ被告方は農繁期であり且つ嫁入仕度もまだ充分に出来ていないからとの理由で挙式の延期方を申込んできた。然し原告方は既に予定通り準備を進めていたので今更延期も困るから被告方の準備の出来た程度で結構であると申入れた上被告方の親族からも農事は自分等も手伝うから原告の希望通り式を挙げる様勤めてくれたが被告は頑として聞き入れなかつた。併し媒酌人の話によれば被告方は既に嫁入仕度も出来て花子は暇であると云うし、結納の「おため」のなかつた事や被告が三回許り原告方を訪問した事があるがその態度がいかにも不作法で礼儀に甚だ欠くるところがあつたり、色々気持の上で将来両家が円満に末永く交際する事が望めない様に思われ、結婚後破談となる様な事があるよりもむしろ今の内に破談する方が双方の為によいと思い破談の申入れをした次第である。従つて破談の責任は被告方が負担すべきものであり被告の主張は理由がないと附陳した。<立証省略>
被告訴訟代理人は主文第一、二項同旨の判決を求め答弁として、原告三男丈男と被告長女花子との間に婚約整い、その後結婚式を挙げるに至らず破談となつた事及三万五千円の授受のあつたことは認めるがその他の事実は全部争う右三万五千円中には抑樽料三千円、松魚料二千円を含み右は結納でなく原告方に於て同慶を表示するため、現実の酒肴に代えた単純な贈与に過ぎず結納金は三万円である。併して本来結納は形式上双方親名義で嫁方親名義宛に授受されるものではあるが実質上は婚約の当事者である訴外丈男から訴外花子に贈つたもので原被告間の贈与ではない。原被告間の贈与なりとしても結納を贈与した原告方が正当の事由なくして自ら婚約を破棄した時はその取戻を請求し得ない旨の地方慣習に従い或は取戻の請求をし得ない了解の下に当事者間に授受されたものである。破談の原因は原告方より昭和二十四年十一月二十七日挙式の旨申入れて来たが結納の時挙式を年内冬期にとの諒解があり、従来田七反余自作する被告方では花子の嫁入仕度をする外右二十七日当時は丁度稲作の農繁期に際会し差支えるため、十二月上旬に挙式をしたい旨数回に亘り礼を厚くして原告方に懇請交渉したが聴入れず終に十一月中旬の交渉で被告方が万障繰合せ原告方の要求に応じたに拘らず婚約を履行する誠意なく且つ信義に反して婿方の要求に応じないとの口実の下に破談の旨申出でたものであるからその責任は原告方に於て負うべきものである。右主張が理由なしとするも原告方の不誠実な破談により被告本人並花子は共にその名誉を害されその慰藉料として合計十万円財産上の損害として結納被露婚礼支度等のため計一万六千二百円、合計十一万六千二百円の反対債権を有するから之と原告の請求金額と対当額で相殺すると述べた。<立証省略>
三、理 由
原告三男丈男と被告長女花子との間に昭和二十四年五月頃縁談が纏り、同月下旬原告方より被告方に結納金(金額につき争あり)が納められたが挙式の日取りのことで右縁談が破約された事は当事者間に争がない。原告は不当利得を原因として右結納金の返還請求権の存在を主張するから結納の性質について按ずるに、結納は婚約の成立に当り嫁聟の父又は之に代る長上の双方間に又はその一方より他方に金員布帛の類を贈る礼を謂い婚約の調いたるを証すると共に将来婚姻の成立により生ずる親族関係の友誼を厚くすることをその目的とする一の贈与であり、婚約が後日合意により解除せられた場合は結局結納を給付した目的を達し得ずして当然その効力を失い給付を受けたものは之を保有すべき法律上の原因を欠き不当利得としてその目的物を相手方に返還すべきものである。然し乍ら婚約が結納の贈与者側より一方的に正当の理由もなく破棄された時は信義誠実の原則に照らしかかる場合の当事者の意思を合理的に解釈して事を解すべきであつて贈与者に於て常に当然にその返還を請求し得るものと断ずることは出来ない。そこで当事者間の婚約解消の原因を考察すると証人小井賢吾、同中村正雄、同中村テル(第一回)、同市川文子(第一回)、同芝田一郎、同森盛太郎、同市川花子の各証言を綜合すると原告方より結納を被告方に持参した中村正雄は被告より結納の一割として三千円の「おため」を貰い受け、原告方に「おため」を貰つた旨復命していること、挙式日の点については、当初昭和二十四年八月頃に被告より同年十月頃に挙式の申入を原告方にした処、原告方では八百屋で柿の時期に当り忙しいからとの事で延期となりその後十月九日頃原告方より同年十一月二十七日が吉日であるから当日にしたい旨仲人の中村テルを通じ被告方に申込み被告方では皆に一応相談するが何分雨が多く農家の事とて秋の収獲が遅れ、続いて麦播きもあり一週間か十日程延期方を請うたが原告方は右二十七日は神様に見て貰つた吉日でもあり他に適当な日がないと言う理由で十一月二十七日を固執し兎角する内十一月二十三日頃訴外中村正雄等が原告方を訪れ日延べの交渉をしたが原告の方は之を聴入れず果ては破談の旨を仄めかしたので、被告方は致方なく同月二十五日頃二十七日の挙式を承諾する旨述べた処原告方では今更承知して貰つても仕方がない破談にする旨返答した事が認められ、前記各証人の証言中右認定に反する部分及右認定に反するその他の証人の証言は之を措信しない。右認定事実によれば原告は一旦被告の申入れた挙式日を自己の都合で延期し飜つて自己の申入れた挙式日は神様に見て貰つた吉日であるとの理由だけで被告方の都合を無視してその実行を迫り最後に被告方に於て止むを得ず原告の申入に応じても之を拒絶し一方的に婚約を破棄したことが明かである。この様に原告が自ら婚約を正当の理由もなく解消し乍ら結納金の返還を求める事は前叙の如き結納の性質、世上一般に行われる慣例に照し考えるときは著しく信義誠実の原則に反し、衡平の精神に合致しないものと謂うべきであり、原告の本訴請求は失当であると謂わねばならない。従つて爾余の点について判断する迄もなく之を棄却し訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文の通り判決する。
(裁判官 岸本五兵衛)